データ活用によって変わっていく、多様性と包摂を前提としたファッションの未来とは?

多様性と包摂
DIALOGUE
2021/10/10
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これからのファッションを考える上で、多様性と包摂(インクルージョン)の視点は欠かすことができない。データサイエンティストで慶應義塾大学医学部の宮田裕章教授と株式会社ワコール代表取締役の伊東知康社長に、FASHION FRONTIER PROGRAM発起人の中里唯馬が「多様性と包摂」について聞いた。

データ活用時代と「個」

中里唯馬(以下、中里):オーダーメイドはまさに多様性、「個」に合わせた服ですが、私自身は富裕層だけのものに近かったオーダーメイドを民主化したいと考えて活動しています。本日は下着という肌に一番近いプロダクトを作ってらっしゃるワコールと、テクノロジーによって人と世界の繋がり方を変え、誰も取りこぼさないためにデータ活用を考えてらっしゃる宮田先生とお話しするのを、非常に楽しみにしていました。

まず伊東社長にお聞きしたいのですが、ワコールは1964年にはワコール人間科学研究所を設立し、50年以上約4万5000人の日本人女性の人体計測を行ったり、同じ女性を30年以上にわたって追い続け、時系列データを取得したりするなど、下着メーカーとして科学の視点から研究し、独自のものづくりをなさっていますよね。

下着は中世ヨーロッパの、現代人には到底着用できないようなコルセットを考えるとわかるように、「人間の体をどう見せていきたいか」という価値観と連動する衣服です。多様な身体に向き合うべき衣服だと思いますし、ワコールはオーダーメイドの下着を早くから手がけていらっしゃいます。ワコールとしてデータを活用して「個」に向き合うために、どんなことを意識なさっているのでしょうか。

 

伊東知康社長(株式会社ワコール代表取締役 以下、伊東):体型は個々の人で違うのはもちろんのこと、同じ人でも加齢によって変化しますし、朝昼晩でも少し違います。また場面によって、ファッションに合わせてからだのシルエットを整えたいときと、リラックスしたいときがありますよね。こういった様々な状況にどれだけ寄り添っていけるかを考えています。

ワコールの商品点数は昔から非常に多いのですが、かつては経済合理性を考えて売り上げに貢献しない品番を廃止していくのが普通でした。しかし、そうやってニッチなものを廃止してしまうと、お客様と希望とのマッチングが悪くなって、結果的にお客様との距離が遠くなってしまいます。データを活用できる今は、昔と違って少量の生産でもそこまでコストが上がりません。少量の生産でもしっかりお客様に届けることができるのです。

商品にデータ活用しているだけではありません。今はたくさんの物を所有するよりもより良い体験を求める時代だと言われていますが、新しい購買体験にもデータを活用しています。2019年から3Dスマート&トライという、3Dボディスキャナーと接客AIを活用したサービスを始めたのです。これはお客様の体型やお悩み、お好みのデザイン、シルエット等に対応した最適なブラジャーを、人の接客なしに提案できるサービスです。

従来の下着売り場は、お客様の目線で見た時に、ちょっと入りにくいところがあるんですよね。それを払拭するために、お客様ご自身がセルフ体験で からだ を3Dボディスキャナーで全身の150万か所を5秒で計測し、からだ にぴったりの下着をAIが提案することで、ストレスフリーに購買体験ができるようにしました。今のデジタル技術と、過去のデータや接客から得た知見を掛け合わせてお客様によりフィットした体験を提供できるようにしたのです。

 

中里:データによってニッチな部分の商品提供を諦めなくてもよくなり、購買体験自体も個々のお客様に寄り添えるようになるのですね。

宮田先生はデータサイエンスの観点から、医療など様々な分野で「個」に向き合っていらっしゃいますが、何かアパレルに応用できそうなアイディアはありますか?

 

宮田裕章教授(慶應義塾大学医学部 以下、宮田):データがここまで活用できていなかった時代には、ビジネスは人を集団で捉えていたんですよね。大量生産・大量消費が基本なので、物を売るために規格に人を押し込めていく発想です。しかし、人は本来それぞれで異なりますし、そのときどきでも変わってもいきます。ワコールは早くから大量生産から脱し、一人一人の状況にまで意識していらっしゃるのが、すばらしいと感じました。

「個」に向き合うためにお伝えしたいのは、店頭に立つ人がどんなにすばらしい接客をしても、見られるのは「この人はどんな人か」という「人」レベルだ、ということです。一方でアルゴリズムはその人の状況まで把握していきます。たとえばApple Musicなどは、レコメンドされた音楽を2ヶ月ぐらい、好き、嫌いと判断していると、その人のリラックスしたい時、やる気を高めたい時など、様々な状況のなかでフィットする曲をおすすめしてくれるんです。また、Apple Musicによって、音楽がCDを買うものからよりよい時間を過ごすものに変わった面もあります。

Netflixは既存の映画産業が「とにかく映画館をいっぱいにしなくては」と、わかりやすく、多くの人に受けるものを作りがちだったところに、データを使って変化をもたらしています。Netflixは1番組をさまざまな角度から分析して、誰が何に反応しているのかを確認し、一人一人の、さまざまな状況に合わせた鑑賞体験を作っています。

Netflixはインターネットで世界と繋がっているので、ニッチで尖った作品でもビジネスとして成立するんですよね。すると、さらに尖ったものが作れるので、クオリティも上がってきます。今年のアカデミー賞では、「オクトパスの神秘:海の賢者は語る」というNetflixの作品がドキュメンタリー賞を取りました。疲れた中年男がタコに恋して追い回すという、非常に変わった話なんですが品質は高い。データ活用時代になって、クリエーション自体が「物」から「体験」に、マスからニッチへと変わったと感じています。

ファッションの世界に目を向けると、多くのハイブランドのデザイナーが数年前まではFacebookやInstagramの台頭でクリエイションは変わったかと聞かれても、パリには世界中からトップクリエーターが何百人も集まって命を捧げてものづくりをしているのだから、SNSの台頭があっても変わらない、と言っていました。多様な人に合わせてファッションを作っていくことは難しいから、デザイナーの圧倒的なセンスで、バーンと打ち出すのが良い、という発想が主流だったんですよね。私も当時はそう思っていましたが、Apple Music やNetflixの状況を見て、考えが変わりました。今は尖った物を打ち出すことで世界にいるニッチな人たちと深く繋がれる時代なんですよね。

しかし大手メゾンは、まだ、そういった多様性、「個」の状況に合わせた変化は起こせていません。一方で、AmazonやGoogleなどのテックジャイアントは、ファッションの価値を掴みきれていません。多様なかっこよさ、一人一人、そして個々の状況に応じた服を着る体験を、どうデザインしていくかは、これからおもしろくなっていく部分だと思います。

 

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変わりゆく時代の「美」と「身体への価値観」

中里:自分の世界観をなんとか世界に表現して立ち位置を作るのがクリエイターだとすると、今までは、マスを相手にする必要があったので、立ち位置が作りにくい時代だったと思います。それが自分の存在を最大限に深め、尖らせることで世界中のニッチとより深く繋がれる時代になったことは、クリエイターにとっては希望になると感じました。

一方で、AIが人類の衣服のアーカイブを徹底的にリサーチして、着る人のワードローブや趣味などの膨大なデータを持って提案する服と、オートクチュールのデザイナーが着る人のことを真摯に考えて提案する服とでは、どちらが着る人が感動するのだろうかと考えてしまいます。

AIに導き出せないクリエーションはどうしたら生み出せるのか、これまでになかった美意識を生み出すにはどうしたらいいかと常に考えているのですが、こういった時代に、「美しさ」とはどんなものだと考えますか? また、これまで、人間の身体のトレンド、たとえばこんな肌色がいい、こんな体型がいいというトレンドがありましたが、そういった身体の価値観に関して、今どんなことをお考えでしょうか。

 

伊東:ワコール創業者の塚本幸一は「女性が美しくしていられる社会こそ平和な社会」という信念に基づいて創業したのですが、「美には絶対もなく、また窮極もない。人間は、美をもとめるが、獲得された美に満足することはできない。なぜなら、どのような美も、それを超える、より高次な美によって手招きされているからである。」という言葉を残しています。

「美しさ」は時代背景などによって大きく変わってくるのですよね。たとえば1950年代に日本人がミス・ユニバース第3位に入賞したこともあり、8等身美人が話題になって「美」を目指す時代がありました。ワコールも1965年に、ワコール人間科学研究所から現実的で美しいゴールデンプロポーションは7.3頭身、ヒップ高は身長の1/2といった指標を出したんです。しかし、年齢とともに体型は変化しますから、年齢の高い人ほどその指数は実現不可能になります。そこで、年齢ごとの体型にふさわしい美しさの基準があるとして1979年にビューティフルプロポーションというものを発表しました。

その後1995年にはゴールデン・カノンを発表しました。これは、美しさとは絶対値ではなく、バスト・ウェスト・ヒップ等の各ポイント同士のバランスを考えた基準です。しかし、それもおかしいと考え始めました。そこで2011年には、女性の加齢による体型変化「ボディエイジング」を発表しています。これは、蓄積された人体計測データを分析することで、これまでに感覚的にしかとらえられていなかった加齢による体型変化を明らかにしたものです。人は本来それぞれの「美しさ」を持っていて加齢に伴って変化しますが、下着や食べ物、運動などを意識することで、キープしたり改善したりすることも可能だという提案です。私たちの提案する「美」も「個」の からだ や意識に合わせたものに変化しているのです。

ボディポジティブという言葉もよく聞かれるようになりましたが、今ワコールで人気のサービスに骨格診断があります。最初、聞いた時にはそれでお客様が喜ぶのかと疑問だったのですが、自分自身の骨格をベースにどう自分の望むようなフォルムに変えていくか、どんな洋服を選ぶと良いかを考えられると、興味を持っていただいているようなんですよ。社会も変わってきています。社会の中で、豊かに生き生きと暮らせるかが重要で、そこに通じるものはすべて「美」なのではないか。私はそう考えています。

中里:そうですね、たしかに「これが『美』である」と言われると、それに当てはまらない人は阻害された気持ちになります。「それぞれに『美』がある」というのは多様性・包摂を考えたメッセージですね。

 

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テクノロジーの進展で重要になる「美」と「Better co-being」

中里:宮田先生は、今後AIを始めさまざまなテクノロジーが発展していく中で、「美」や「身体の価値観」はどういう進化・発展をしていくとお考えでしょうか。

 

宮田:やはり「美」は非常に相対的な基準ですよね。先ほど、中世ヨーロッパのコルセットの話がありましたが、当時の宮廷文化では、思い切り締め付けて、ダンスの最中に失神するような状況が一番クールだったのです。失神して殿方から心配されることも含めてかわいい、といった発想です。今だとまったく理解できないですよね。「美」の概念は、社会的な文脈や、その時の気分で移ろいゆくものだと思います。

そんななかで、大量消費の時代までは「イケてるアイテムを持っていることが美しさである、幸せなのである」という価値観がありました。しかし、これからは一人一人が幸せであるかが重要です。ファッションを通じてどんな幸せを求めるかに関しても、多様な考えがあります。ある程度は個々に委ねながら、幸福の形を作っていくことが「美」なのだろうと思います。

ただ、一つ重要だと思うのは、独りよがりでイケていると思っていても、それは続かないだろうということです。今日、私はスターリング・ルビーの服を着てきました。彼は現代アーティストで、相反する要素をぶつけてクリエーションを生み出すような作家です。今日はみなさんとお会いするということで、これを着てみたんですが、ファッションは自分が楽しむだけでなく、誰かから見られるものですから、社会と繋がるという側面もありますよね。その場にいる人に「美」に対する先鋭的なイメージを与えたり、逆に衣服によって安心感を与えたりもできます。ファッションによって、相手との関係性が変わってくるんですよね。

人の幸せは、社会との繋がりを必然的に内包しています。繋がりの中で、互いが豊かにいられることが重要で、私はこれをウェルビーイングに対して「Better co-being」と呼んでいます。「Better co-being」を考えて、どう美しさを作っていくかが、重要になってくるのではないでしょうか。

「身体への価値観」に関しては、必ずしもありのままの姿だけを美しいとする必要はないと考えています。かつてカール・ラガーフェルドは、エディ・スリマンによるディオール オムのスーツを着るために、50キロ近いダイエットをしたことがあるといいます。自分の望む服を着るために、自分の望む体型になり、結果的に健康にもなっていく。そういった部分も含めて、「美」と身体を考えていきたいですね。

 

伊東:ワコールでも、実は今、着用した時のフォルムの美しさとともに、使い続けたときにどうなるかも重視して商品開発をしています。下着は肌に一番近い衣服ですし、はいて歩くことを続けるとエクササイズになるガードルなど、健康面でのサポートができることも重視しているんです。新型コロナウイルスの影響もあるのかもしれませんが、面接などで学生と話していると、内面的な健康も含めて、健康を重視する若い人も多いことに気付かされますね。

 

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さまざまな変化がある時代に、イノベーションを生み出し続ける秘訣

中里:データの活用、「美」や「身体の価値観」に対する考え方の変化など、さまざまな変化のある時代ですが、ワコールはその中でたくさんのイノベーションを生み出してきています。イノベーションを生み出し続ける秘訣はなんでしょうか。

 

伊東:仕事上で自分の責任のある範囲を徹底的に観察することが、突破口になるのではないでしょうか。先ほど、エクササイズになるガードルの話をしましたが、この商品は、担当者がモニターさんのデータをとっている間に、あるガードルの着用によって からだが変わる人がいると気づいたことから生まれたんです。初めは誤差だと思ったらしいのですが、観察し続けた結果、商品の圧のかかる場所によって変化が生まれるとわかったそうです。このガードルだけではなく、担当者が「何かおかしいな」「なぜだろう」と疑問に持ったところから生まれている製品はいくつもあります。

それからもう一つは、視点の変更があります。3Dスマート&トライは、カスタマージャーニーを組み替えたことによって生まれました。ワコールは材料調達・製造・販売のバリューチェーンを全部持っています。もの作りをする人と販売をする人の視点は全く異なりますから、さまざまなポジションの人たちが集まって、お客様にとってより良いカスタマージャーニーを考え、さらにデジタル技術に強い4、5社と協業をすることで、新しいイノベーションにつながったんですよ。今後は、こういったことが重要になるのではないかなと考えています。

 

宮田:イノベーションはすでに、必要なものになっていますからね。高校生などを相手に講演をすると、8割ぐらいの人が安定したいと言うんです。でも、いったい今、どこに安定した生き方があるのでしょうか。GoogleやAppleなど、海外のテックジャイアントと呼ばれる企業は安定だと思うかもしれませんが、彼ら自身はみずからを安定しているとは思っていません。彼らはイノベーションを起こしていくこと自体がむしろ安定だと捉えて、1ヶ月に100のアイディアを作り、95はボツになってもやり続けるような緊張感でイノベーションをぶつけ合っていくんですよね。

イノベーションを生み出す際に重要なのは、今日のテーマでもある「多様性」です。同じような人たちを集めてイノベーションのセッションをやると、平均点は高くなります。ただ70点ぐらいのものしかできないんですね。でも、異質な人たちを集めてくると、200点から0点までのアイディア生まれてきます。0点もあるのかとがっかりするかもしれませんが、その0点のアイディアは見ようによったら100点、200点かもしれないようなものなんですよ。

自分に心地の良いものではないものも含めて、たくさん触れる、リソースをたくさん持つのが重要だと思います。ただし、ブレンドバランスを考える必要はあります。違和感がありすぎてもなさすぎても難しい。授業でも違和感がありすぎてもなさすぎてもみんな寝てしまいます。だいたい2割の違和感を入れると授業は成功するのですが、イノベーションの場合はもう少し増やした方がいいのかもしれないですよね。

 

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さまざまな「美」とファッションの可能性

中里:ここで未来に視点を移してお考えをお聞きしたいと思うのですが、医療の進歩によって将来的には手術で足を長くすることなどが身近になり、身体自体を自由にデザインできるようになるかもしれません。そうなった場合、生命倫理の観点で問われてきたり、もしかしたらお金がある人だけがどんどん美しくなったり、同じような体つきの人ばかりになる世界が訪れるかもしれませんよね。今日はさまざまな「美」について話してきましたが、そんな未来についてどうお考えでしょうか。

 

伊東:1965年にワコールが出した「ゴールデンプロポーション」のような価値観を強く持った社会であれば、同じような体つきの人は増えるような変化は進むかもしれませんね。その時点で、人々が何を大事にしているのか。心のあり方で未来は変わってくるでしょう。しかし、体型についての偏見が出てくるとしたらそれは良いありようではないので、私たち企業としても、社会のリテラシーを高めていくような働きかけを考えていかなければいけないとは思います。

 

宮田:伊東社長がワコールの美の基準の変遷を教えてくださいましたし、さまざまな体型の方をファッションショーに起用するブランドも出てきています。ただ、先ほどのカール・ラガーフェルドの例のように、現状にとどまることだけを肯定するのもちょっと違うかもしれないとも思います。揺れ動き、葛藤しながら「美」と「個性」をどう大事にするかを考え続けていくのではないでしょうか。

それよりも私が気になっているのは、男性のファッションが、あまりおもしろくないということです。コレクションがあると、ほとんどのブランドが女性向けのファッションで新しい試みを行いますよね。客観的に考えても、直線的な体に乗せる男性の服と、曲線的な体に多様なイメージを重ねていける女性の服では広げられるイメージが違います。

ただ、これからバーチャル空間もさらに進化しますよね。するとアバターを利用しながら性別を超えたり、人の形すら超えたりと、自分の個性を発揮して体を作り替え、制約のない自由なファッションを楽しめるようになるかもしれません。それが現実の世界にも反映されて、エッセンスを取り入れたりTPOを楽しんだりと、豊かなものにつながっていく可能性も、生まれ始めたのではないかなと思います。

 

中里:バーチャルによって身体や重力など物理的な制約がなくなったときに、本当に求めているものが可視化されるかもしれませんね。ジェンダーも身長も体型も自由に作り込めたら、普段はスーツを着ている人が、巨大な服を着たい、非常に煌びやかな服を着たいとなどと、さまざまな願望を持っていることが可視化されるかもしれません。その世界は非常に自由ですし、多様な「美」が認め合えるようなフラットな世界が生まれるかもしれない。すると、現実社会もそれに引っ張られて、多様な美を受け入れられる価値観が生まれてくるかもしれないなと感じました。

 

今日はファッションについて非常に多岐にわたるお話、どうもありがとうございました。

 

Text: フェリックス清香
場所提供: TOYOSHIMA CREATION LABO

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